2009年5月26日 (火)

監督 杉野勝人先輩3

大学2年生の春から新監督がやってきました。

20歳そこそこの私からは古い先輩、16期上の監督のことを不覚にもオジサンだと思っていました。しかしその時監督36歳、私のことを思い返しても元気盛りの年齢です。そして、1年生の頃より明らかに練習が厳しくなりました。

その時の練習そして監督を表現するならばまさしく巨人の星の星一徹!!
いつまで続くか分からない基本、突いて突いて突いて・・・蹴って蹴って蹴って・・・そしてスクワット!いったいどれくらいやったでしょうか毎回気が遠くなるほどやらされました。練習場所が道場からグランドに変わると走って走って走って・・・ダッシュダッシュダッシュ・・・そしていつ終わるか分からないウサギ跳び、まるで星飛馬の練習を地で行くようなものでした。

前年まで少なかった部員も高校時代に全国に名を馳せた選手がたくさん入ってきました。そして鉄人谷崎先輩、新監督杉野先輩の気迫のこもった指導をうけそれから九州産業大学空手道部の快進撃が始まりました。

次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

監督 杉野勝人先輩2

高校時代に柔道と陸上競技の二足のわらじをはいていた私は大学に入ってもどちらかの道に進もうと思っていました。大学へはスポーツ推薦という話もありましたが私が入りたかったのは工学部でした。そして入ったのが九州産業大学工学部です。

大学に入った私は、スポーツ系クラブに入部しようと思っていたので経験のある柔道部へ見学に行きました。その時受けた説明が「柔道部は特待生か推薦の部員がほとんどなので一般学生の入部はどちらでもいいですよ」という中途半端な受け答えで柔道部入部への気持がそがれてしまいました。そして、下宿への帰り道私にとっては運命の出会です。

現在高知で高校の教師をしている中野先輩との出会いでした。空手道部4年生の先輩はほかの部員とクラブ生勧誘中でした。そこを通りかかった私に声をかけてきたのです。「お前出身はどこか?」 「香川県です」 「俺は高知や同じ四国だな 飯でも食いながら話そうか」 そして連れて行かれた大学前の定食屋さん、おごってもらた焼き魚定食は今でも美味かったことを覚えています。 それが、私が空手道部に入部した理由です。

そのころ私の地元では高校に空手道部というものは存在せず、身近に空手道をやっている者もいませんでした。そして突然入った空手道部ですが空手の世界を知らない私は勧誘で部員をとるようなクラブなのでそんなに強いクラブだとは思っていませんでした。4年生が2名 3年生が2名 2年生が1名(その当時2名) 部員数の少ない空手道部練習場はそれにはにつかはない新しい体育館の中にある広い専用の道場でした。そして、そこで目にしたのは数えきれないトロフィーやカップそれから賞状額がここ狭しと並べられた光景でした。そこにはまぎれもなく全国に知られた伝統の空手道部の姿がありました。

それからは、来る日も来る日も厳しい練習の日々が続きました。走ることが中心の体力作りと基本が殆どの練習は高校時代には味わったことのない苦痛が伴うものでした。大学1年生当時私たちより練習している物は世の中にいないのではないかと思っていました。10数人入った1年生も少しづつ人数が減って行きましたがなんとか1年間練習を続けることができました。そして2年生の春、少しは自信がついた私達の前に現れたのは新監督の杉野監督です。

次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月19日 (火)

監督 杉野勝人先輩

その時はやって来ました。

30年ほど前の春のことです。4月生まれの私が二十歳のなったばかりの時でした。
その人を見たのはその時が初めてです。少し小柄な体にほとばしる気迫。
何者をも近づけない容易ならざる雰囲気を醸し出していました。

大学に入って、何のはずみか到底私が進む道ではない空手道部に入ってしまいました。そして、苦難の日々が始まりました。しかし、私達の本当の苦難の日々はこれからが始まりだったのです。


※話がかなり古いことと、杉野先輩の思い出が強烈なため事実関係に自信が持てません。この話は事実に基づいていますがノンフィクションのようなものと思って楽しんでください。私の中では事実と思っていますがもし間違った記述があってもそんな雰囲気であったのだと理解してください。


次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月10日 (日)

新入生歓迎コンパ最終話

ことしの新入生は3名でした。伝統の九産大空手道部にしては少し寂しい感じがします。
九州は少・中・高校生の競技レベルが高く今でも大学そしてナショナルチームで活躍する選手を数多く輩出しています。しかし近年、関東・関西の大学に人気が集まり九州で空手道をという選手が少なくなっているのだと聞きます。

私は進路について長男に何もアドバイスをしませんでした。就職か進学かも本人に任せました。長いリハビリなどもあり高校での成績もこれといったものがありませんでした。高校2年生から3年生になるころ大学で空手をやりたいと本人から言い出しました。数校の大学からも誘いがありましたが九州産業大学空手道部に決めたのは本人の意思でした。父親としてというよりも九産大空手道部OBとして嬉しいことだと思います。

コンパについては私達の頃とは様変わりをしました。お酒を飲みすぎて乱れている生徒は一人も見当たりませんでした。私の歓迎コンパのときはどうやって下宿までたどり着いたか覚えていません。出席したOBたちも昔に比べるとずいぶん紳士になたと思います。

そしてOB会長の挨拶。OB会長は私の現役時代の監督で杉野先輩です。
九産大空手道部に対する熱い思いを語りました。その気迫のこもった言葉にしばし場内が水を打ったように静まりました。昔を思わせるその挨拶に感動そして閉会へ。校歌・部歌を歌い万歳三唱。こうして新入生歓迎コンパは終わりました。
現役を終え初めて参加した歓迎コンパでした。改めて九産大空手道部のことを愛している自分を再確認でき、そしてOB諸氏の熱い思いも感じることができて本当に来てよかったと思います。

次の日、高松で大会があるためそれからトンボ帰りで高速道路へ、博多を21時に出発しました。福岡ICに乗ったとたんに15kmの渋滞、八幡に着いたところで門司まで30kmの渋滞、SAに立ち寄ると給油の長蛇の列にビックリ!そして途中からの雨、疲労困憊で家にたどり着いたのは午前4時30分でした。そして7時まで仮眠をとり試合会場へ。こうして私の九州産業大学空手道部新入生歓迎コンパは終わりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新入生歓迎コンパ3

その日18時30分から始まる歓迎コンパの前に保護者会が行われました。

まさか自分が保護者の立場でこの場所に来るとは思ってもみませんでした。空手道部側から昨年度の決算報告と予算案の説明があり現在の状況などの話がありました。報告説明など資料も頂き丁寧な説明に正直驚きました。部費の収入明細や支出について保護者に対して明らかにするその姿勢に我が空手道部ながら感銘しました。

OBである私は九産大空手道部のことをどのくらい分かっているのだろうか?そしてOBといううだけであって、どれくらい貢献しているのだろうか?大きな顔をして先輩顔をしている自分が恥ずかしくなりました。地元福岡で空手道部のお世話をしてくれている諸先輩方や後輩たちに頭が下がる思いです。伝統のクラブを維持することの大変さを改めて思い知らされました。

そして、今年度の九州産業大学空手道部新入生歓迎コンパが始まりました。
私は保護者席に着きました。妙な違和感を感じながら先生方のあいさつを聞きそして師範 古田先生の乾杯と続きました。その後、新入生の自己紹介が始まりました。30年前この場で自己紹介をしたことが思い出されました。その時の私は名前と学部・出身高校を大声で叫ぶのがやっとだったと思います。

そしてコンパは続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 9日 (土)

新入生歓迎コンパ2

5月5日こどもの日、ゴールデンウィークも後半の休日です。

早朝からの空手道部の練習も昼前に終わり夕方からの歓迎コンパまで時間があります。福岡へはよくやって来る私ですが、まだ観光をしたことがありません。せっかくの機会なので嫁さん孝行と思い海ノ中道まで行くことにしました。海ノ中道には海浜公園が整備されマリンワールドなるものがあり休日をゆっくり過ごせるとのこと。どちらにしても私が福岡にいたころはなかった施設です。そして、嫁さんと一緒に海ノ中道へ・・・

人間の考えることはあまり変わりがないものだとつくづく思いました。連休終盤のこどもの日、家族づれのマイカーで大渋滞です。横を走る自転車が心地良さそうです。ともすれば散歩のおじさんと競争する始末、やっとの思いで辿り着いた海浜公園の駐車場はどこも車で埋め尽くされています。2番目の駐車場待ちの列を見た時点で戦意喪失、諦めてその場をスルーすることにしました。

海ノ中道を越えていくと卑弥呼の金印で有名な志賀島があります。博多湾と玄界灘を隔てるこの島は実は私のお気に入りのスポットです。しかし、前回来たのは何年前になるのでしょうか思い出せないほど前のような気がします。砂浜が続く海ノ中道から岩場の多い志賀島の海沿いの道は絶景です。そして国民休暇村の砂浜で休憩。何があるわけでもないただきれいな海があるだけです。しばし波の音を聞きながらぼんやりした後、いざ博多へということにしました。博多への帰り道海ノ中道に続く渋滞は私たちが来る時の3倍ほどに膨らんでいました。合掌!

そして博多、新入生歓迎コンパへと話は続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新入生歓迎コンパ

九州産業大学空手道部の新入生歓迎コンパが5月5日に博多の都ホテルで行われました。

私も、長男が4月から大学にお世話になているのでゴールデンウィークを利用して嫁さんと一緒に参加することにしました。香川から博多まで日頃は5時間少々で走るのですがさすがにETC割引も始まり混雑をしていて6時間余りかかってしまいました。

4日の夕方に寮へたどり着き寮生活のための物資を差し入れ博多で1泊しました。夜は久しぶりに長男と居酒屋で食事をしましたが息子は飲み物にコーラ。呑兵衛の私が楽しめるにはまだもう少しかかりそうです。
寮生活はまだ1か月ほどですが仲間もたくさんでき楽しくやっているようです。寮の仲間たちに焼酎を1本そして焼鳥などの差し入れを持たせて午後9時過ぎ寮に帰しました。折角の博多の夜、本来ならばここからが私の時間ですが長時間の運転もありシャワーを浴び少しと思い横になたところで爆睡してしまいました。気がつけば朝です。私の博多の夜は、はかなく終わってしまいました。

翌朝、空手道部の練習を見学しました。30年前、私が長男と同じ19歳のとき同じこの道場で空手を始めました。九産大の空手衣を着けて練習をする息子を感慨深く眺めてきました。時は移ろいゆくもの、自分の年を改めて感じました。

次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 2日 (土)

総会 最終話

その日は暑かったのかそれとも寒かったのか、晴れていたのか雨だったのかそんなことも考える余裕もない一日が始まりました。

常任理事会で判明したミスプリントや数字の間違いは通常の総会では許せる範囲のものかどうか私にはよくわかりません。しかし、私の常識でも数が多いと思われるほどでした。会計処理など悪いことをしているわけではないのですが、認識不足による仕分け違いや単純な数字の入力間違いなど、総会で説明できるかどうか不安なまま本番に突入することになりました。

そして始まった20年度の総会。開会のあいさつが始まりましたが私は質疑の応答のことで頭がいっぱいでした。次第に従い総会が進んで行きます。冒頭から誤字、脱字のお詫びと訂正、決算報告が始まると数字の訂正と説明とここまで来たとき顔から汗が噴き出し背中には汗が流れていました。頭をかしげながらも役員の先生から厳しい質問はありませんでした。しかし、私の師匠石川先生から、今現在資金が適正に保管されているか質問がありました。これには自信のある私は大きな声で現在の資金について説明しました。その時役員の先生方から苦笑が沸き無事決算報告が終わりました。それから事業計画や予算案の説明がありましたが脱力してしまった私はどのように総会が終わったのかあまり覚えていません。

総会後の懇親会では先生方から冷やかされたり励まされたりとそして総会が終わった安堵感からしこたま酔っぱらってしまいました。

先日4月29日今年の総会が終わりました。まだまだ上手に事務局を運営することができない私は今年も四苦八苦しながら諸先生方に助けられ総会を終えました。今年の総会は昨年ほど恥ずかしい総会ではなっかたと思っています。
そして、役員改選だった今年の総会ですがもう一期2年間事務局を務めることになりました。先輩諸先生方や各委員会の先生たちに助けられながらまた今年の活動が始まりました。

私が空手道連盟を通じて遣っていきたいことは今でも選手の強化と次代を担う人材の育成だと思っています。本当は現場に帰りたいのですが今は事務局を通じてそれをやっていこうと思います。そして2年間の事務局生活を通して県連盟を今まで支えてくれた先生方に心から感謝しなければならないと思いました。私ももう少し県連盟のために頑張っていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

総会4

そしてその日はやってきました。 朝から常任理事会そして総会へと・・・

3月の強化練習が終わり19年度最後の事業が終わりました。4月に入って各委員会からの事業報告・事業計画そして決算報告と来年度予算案が送られてきました。総会に向けて私の手元にあるのは前年度の総会資料だけです。30数ページのその資料を見ながら総会に向けて資料を作り始めました。

1年間県連盟の事業をこなすことで精一杯だった私にはこの時点で連盟の決算システムや補助金の処理の仕方、そして本決算の仕分けの方法などわからないことばかりです。仕事が終わって家に帰りそれから昨年の資料とにらめっこをしながらこつこつと資料作っていきました。誤字脱字の確認から決算資料の数字に間違いがないか確認をしながら最終的に資料が仕上がったのは総会前日でした。そしてその夜、千数百枚の資料をコピーして50数部の総会資料を作成しました。終わったのは日付も過ぎて総会当日になっていました。

やはり人間一人の力というものは大したことのないものです。製本が終わった資料を手にしてみるとすでに表紙に誤字発見、次のページを開けてみると脱字発見。いまさら手直しもできず本番へと向かいました。そして総会前の常任理事会が始まりました。そこで総会資料の確認が始まりました。会議が進むにつれて私の顔には冷汗が噴き出てきました。そして総会へと続いていきます。

次回に続く


| | コメント (0) | トラックバック (0)

総会3

私が直面した事務局の一番の試練はお金の管理でした。

事務局引き継ぎの時から県連盟のお金を預かることになりました。預かったお金は連盟の大切な積立金、それから昨年度からの繰越金、会員登録のお金など普段お金を持たない私には重くのしかかるプレッシャーです。

県連盟には委員会があり各委員会(審判・指導・強化・競技・学生連盟)には予算に応じて活動費を支給し独立決算をするようにしています。事務局の負担を軽減しようと始めたものですが、各委員会から送られてくる決算書の把握や事務局が立て替えたお金や補助金の管理、また県連の各行事の決算などがあり結局私の能力を超えた事務処理量でした。入ってくるお金を記録し出ていくお金の仕分け、領収書の整理と現場(選手強化)で頑張ってきた私には似合わないそして強化してきた選手たちから想像もつかない今の私の姿になっていきました。

そして迎えた初めての総会となります。ちょうど1年前4月29日のことでした。

次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 1日 (金)

総会2

事務局1年目、県連盟のシステムもあまり分からないままその年度は始まりました。総会が終わり県連盟の通帳を預かり気が付くと全空連や体育協会などから大量の郵便物が届くようになりました。それを確認しては各登録団体への連絡。大量のコピーを取り封筒に宛名を書き書類をいれて切手を張り郵便局まで走り投函。ここまでやったところですでに心が折れてしまいました。

九州から帰ってきて香川県連盟にお世話になり事務局の先生方に多大なご苦労をかけてきましたが、そのありがたさを今まで軽く思っていたことに気が付き申し訳ないやら恥ずかしいやらという気持ちです。しかし、この時点は就任まだ1ヶ月目です。

2か月目に入るころ必要に迫られてということですが県連盟の登録団体への連絡をメールで配信することにしました。そのころ登録団体の代表者でまだインターネットを取り入れていない先生が半数くらいいましたが大半の先生が同意の上、協力してくれることになりました。また、インターネットを使えない先生のところは事務局を作ってもらいほぼすべての団体にメール配信ができるようになりました。そして、香川県空手道連盟のホームページ立ち上げへと続きます。

ホームページ立ち上げは、T高専の田嶋先生にお世話になりました。県連の行事・組織などの掲示や各種大会の要項・申込書の掲載そしてそれをダウンロードして申し込みをメールで受け付けるようにしました。当初、郵送とメールでの受付を併用していましたが今ではメールですべて受け付けるようになり競技の運営も以前に比べると大変楽になりました。また、大会記録もページ上で確認できるようになり大会結果を資料をひっくり返して調べることもなくなりました。

その結果、各委員会活動も連絡等がスムーズにとれるようになり事務局の仕事量が軽減されました。しかし、私の苦労はこれからが本番だったのです。

次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月30日 (木)

総会

昨日4月29日は県連盟の通常総会でした。

丁度2年前のことです。その時の総会で何やらよくわからないうちに無理やり県連盟の事務局長にさせられてしまいました。いま思い出しても大失敗です。県連盟ではずっと強化委員会で選手の育成を天職と思いライバル今井先生とともに思い出してみると気が遠くなるような強化をやってきました。おかげで今では、県内の選手はほぼ顔を覚えています。月2回の定期強化練習そして遠征・審判委員会との合同練習などその合間を縫うようにして試合また試合。ここ数年ゆっくり家で過ごした休日は数日しかなかったように思います。それでも、強化委員会の仕事は遣り甲斐もあり充実した日々だったと思っています。

それが急転直下現場から事務職へ飛ばされてしまいました。しかも、事務局長です。事務局長の仕事が悪いわけではなく事務能力のない人間が事務局を務めなければならないことが不幸なのです。1年目は強化に足を突っ込んだままで事務局を務めましたが事務局の仕事はそれほどやわな仕事ではありませんでした。泣く泣く強化の仕事から少し距離を取らざるを得ませんでした。そして迎えた初めての通常総会。

いま思いだしても、恥ずかしくて穴があったら入りたいような総会になってしまいました。

次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月23日 (木)

恩師古田福雄先生(祝賀会)

先月の3月22日(日)私の大学時代恩師 古田福雄先生の平成20年度武道功労者表彰受賞祝賀会が博多で行われました。

私は長男を大学の寮(立花寮)に荷物とともに送っていくこともあり久しぶりに博多へと車を走らせました。なんと、その日から瀬戸大橋が1000円そして休日割引でその他区間も半額になり後輩2名と長男の4人で行った博多ドタバタ旅行はずいぶん安く上がりました。(次回からは片道2000円)

長男を寮で荷物と共におろして入寮手続きを済ませいざ博多の街へ・・・

そして、紆余曲折あった博多の夜もあけて古田先生の祝賀会となりました。

私が大学の空手道部に入部したとき先生はすでに九州空手道界の重鎮でした。大学から空手道を始めた私は右も左もわからない状態で古田先生のことをただただ厳しく怖い先生だと思っていました。そして、そういう想いのまま大学を終えてしまいました。

香川に帰郷して空手道を続けることになり、年に2度3度と国体などの試合会場でお目にかかるようになりました。最初の頃は先生に声をかけられると学生のころのように緊張し直立して話を聞いたものです。しかし、OBになった私にかけてくれる言葉は思いやりと優しさに満ちた言葉ばかりです。学生時代の私には古田先生の心遣いや学生に対する本当の優しさがわからなかったのです。

年代は違えどOBたちの気持は同じではないでしょうか。

もうすぐ50周年を迎える空手道部の第1期の先輩から現役の学生まで多くの人たちに祝福される先生を見て誇らしく思いました。そして、お孫さんに花束を贈呈され目を細めている先生の姿はそのころの私達には想像もつきませんでしたが実に微笑ましい光景でした。

私は今思っています。現在私たちがあるのは、時期は違えど古田先生の九州産業大学空手道部に出会い、言葉では言い尽くせないたくさんの経験をすることができたからだと。

祝賀会の終りに九産大空手道部OB現役みんなで肩を組み大声で歌った空手道部部歌が心地よく思ったのは私だけではないはずです。

古田先生、武道功労賞受賞本当におめでとうございます。そして、私たちが誇りに思う九産大空手道部を育てていただきありがとうございました。まだまだお元気で九産大空手道部と私たちを見守っていただきたいと願っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月15日 (水)

卒業4

その日、長男は通いなれた道をそのころのように何の疑いもなくいつもと同じように交差点にさしかかりました。違っていたのは病院へ行く東西の道ではなく家に帰る南北の地下道へと向かったことです。そうです、南北の地下道には自転車用のスロープがなかったのです。いつもの調子で地下道に飛び込んだ彼は奈落の底へと転がってしまいました。コンクリートの階段を自転車と一緒に転がり落ちてしまったのです。なんとか自力で階段を這い上がった彼は、近くのガソリンスタンドでお世話になりました。偶然にもガソリンスタンドの店員さんが、私の道場経験者で長男のことを知っていたのです。傷を負った彼を車で家まで送ってくれました。家にたどり着いたときは血まみれになっていたようですが幸いにも膝の切り傷だけで済みました。しかし、傷は深く膝関節の近くまで達していました。翌日、病院で切開手術をしてもらい患部が動かないようにギブスで固められてしまいました。全治3週間 やってしまった事故の割には軽いけがで済みました。これも、天国の祖父に助けられたのではと思っています。
そして卒業式、彼はギブスに松葉杖という格好で臨みました。入学式のときもギブスに三角巾姿だったと思います。結局、彼の高校生活は怪我に始まり怪我に終わってしまいました。

卒業して一ヶ月半が過ぎました。現在、彼は膝の傷も完治し大学で元気に空手道を続けています。

続きを読む "卒業4"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月14日 (火)

卒業3

一昨年の春ころ嫁の父が体調を崩し高松中央病院に入院しました。100日ほどの闘病の末、逝ってしまいました。闘病中は嫁と嫁の母で付きっきりで看病をしていました。こうなると娘の旦那といううものはあまり役に立たないものです。
そのころ、双子の二男・三男も高松中央高校へ入学し兄弟三人が同じ学校に揃いました。学校生活や空手道部の練習に慣れたころでしょうか。また、長男は最初のリハビリ終盤という時期でした。それから、三人の病院通いが始まりました。
練習が終わってから三台の自転車が高松中央病院まで2kmほどの道を猛スピードで駆けていきます。面会時間が終わるまで狭い病室でみんなですごし家に帰ってくるのは午後11時過ぎという生活が続きました。そしてそれは、雨の日も風の日も父が亡くなるまで1日も休まず続きました。役に立たない私にとっては本当にありがたいことです。そして、体調を崩した父には毎日やってくる孫たちに会えることがなによりも楽しみだったのです。
中新町交差点はこうして彼らにとっては通いなれた場所になりました。

次回に続く

続きを読む "卒業3"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月13日 (月)

卒業2

一昨年の秋、嫁の父(息子たちの祖父)が逝きました。それからは、嫁の実家では息子たちの祖母が一人で暮らしています。嫁の両親は、息子たちを可愛がってくれました。息子たちもまた祖父と祖母のことは大切に思っているようです。そんなこともあり、卒業を控えた長男は一人暮らしの祖母のところへ顔を出しに行ったのです。実は、お昼ご飯を御馳走になりたかったのですが。
そしてその日、練習が終わり帰路につき自転車で高松の中新町交差点にさしかかりました。中新町交差点は中央通りと旧11号線が交差する大きな交差点です。地下通路も整備してあり東西方向には自転車用のスロープもあります。高松中央高校から東西のスロープを越えていくと高松中央病院があります。実はこの道は彼にとっては通い練れた道だったのです。

次回の続く

続きを読む "卒業2"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月11日 (土)

道場ホームページ

4月11日
昨年の8月のことです。突然、私のパソコンから変な音がしてスイッチを入れても叩いても優しくなだめてみても全く反応がなくなりました。メーカーに電話を入れて確認してみるとハードディスクが壊れたとのことです。メーカーから新しいハードディスクを取り寄せ電話で取り換えの説明を聞きながら何とかパソコンが使えるようになりました。ソフトを再インストールしてバックアップしてあったデーターを戻してもとのように使おうとしましたがいい加減なバックアップのため喪失したデーターが多数ありました。メールアドレス・空手道関係の書類・仕事のデーターなど、そしてなんと私のホームページのデーターがきれいになくなってしまいました。
本を読み読み不器用な手でキーボードをたたきなんとか形になりかけたところです。戦意喪失...仕事の忙しさもありホームページの更新もできずはや8ヶ月がすぎてしまいました。
年度末も終わり仕事も一段落しました。データーを復旧する方法をプロバイダーに教えてもらい何とか元のデーターを復旧。8か月ぶりにホームページを更新することができました。8ヶ月間の穴埋めをしながらまたホームページを再開したいと思います。

教訓 転ばぬ先のバックアップ!!

続きを読む "道場ホームページ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月30日 (水)

長男の意地8(四国選手権編)

7月30日  四国選手権は、高体連の大会ではないのですが、長男にとって弟達にそして四国の高校生ライバル達に意地を見せる最後の試合です。この試合が終わると彼にはインターハイの団体戦しか残っていません(形競技は別として)。四国選手権大会も形競技が終わりいよいよ組手個人戦です。トーナメント表を確認すると明徳義塾をはじめ四国の強豪がそろっています。1回戦・2回戦を勝ち上がり3人そろって準決勝に進出することが出来ました。春から四国総体にかけてまだまだ試合の感が戻っていなかった長男も試合を重ね練習も思いどおりできたようで少し自信がついた感じです。そして何より長男の意地があります。準決勝で三男(泰明)そして決勝で次男(武)と対戦し優勝することが出来ました。内容は完勝です。長男の意地が、そして勝ちたいという思いが彼の力を引き出したのだと思います。脱臼を繰り返し2度の手術、つらく長かったリハビリの日々を耐え抜いた立派な優勝であったと思います。師匠としてではなく父親としていままでで一番感動した試合でした。残ったインターハイを兄弟そしてチームの仲間と悔いなく戦ってほしいと思います。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年7月29日 (火)

長男の意地7(四国選手権編)

7月29日  ここまで、兄弟での熾烈な試合内容を書いてきましたが本人達はこと空手に関してはお互いを認め合っているようです。長男も弟達の技術や力量を素直に認めます。弟達からも他の者の特色や技を否定するようなことを聞いたことがありません。お互いを認め合いながらしかも試合になると一切手を抜くことなく全力で戦います。長男は長男としての意地をかけて戦ってきましたが本人が望んだ結果にはつながりませんでした。しかしもう一度、長男の意地を見せるチャンスがめぐってきました。7月20日の四国地区空手道選手権大会(ミニ国体)です。兄弟3人が国体香川県予選で4位以内であったため、3人そろって四国地区選手権大会少年の部組手個人戦に出場できることになったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月28日 (月)

長男の意地6(四国総体編)

7月28日 大会2日目の組手団体戦準決勝は同じパートにいた明徳義塾高校と対戦しました。会場の誰もが事実上の決勝戦と思っています。実際に私は明徳義塾が数年の間に技術・層の厚さなど全国と戦う力をつけてきたと思っています。勝敗は際どいところにあると感じていました。しかし結果は前半の3人で決着するというあけないものになりました。高松中央高校の選手達は1回戦終了後に気持ちを引きずることなく切り替えられたこと、前日の個人組手準々決勝を接戦のうえ勝ち抜いたことが勝利につながったのだと思います。準決勝 対明徳義塾4-1 決勝 対高知高校4-1 一つの目標である団体戦3連覇を達成することが出来ました。選手達の健闘を素直にほめたいと思います。

そして、長男の意地をかけた個人戦の結果ですが今回も準決勝で次男の武と対戦し雪辱を果たすことが出来ませんでした。決勝戦は前回同様に双子の兄弟対決となり、次男の優勝ということになりました。長男は3位決定戦に勝利し最終高校個人成績は四国地区3位で高体連の個人競技を終えました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月27日 (日)

長男の意地5(四国総体編)

7月27日  四国総体も高校四国NO.1をめざし学校の名誉、そして選手達の意地をかけた準々決勝が始まりました。試合は兄弟3人ともにシーソーゲームあり逆転劇ありと大接戦となりました。結果は三人ともに準決勝へ進むことになりましたが明徳義塾の選手達との力の差はほぼ互角であったと思います。

2日目団体戦が始まりました。練習場での高松中央高校の選手達を見ていると3連覇への重圧なのか幾分動きに硬さが見て取れました。1回戦の川之江高校戦では負けてはならない選手が負け、勝たなければならない選手が引き分けてしまうという試合内容でした。3-1と試合には勝つことが出来ましたが3連覇への道のりに不安を感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月26日 (土)

長男の意地4(四国総体編)

7月26日  6月14・15日(土・日)と徳島市民体育館で四国総体空手道競技が開催されました。四国総体は全国につながる大会ではありませんが、選手達にとっては高校四国NO.1をかけた大切な試合です。息子達が所属する高松中央高校は男子組手団体戦3連覇を目標に練習に励んできました。長男にとっては個人の高校タイトルに挑戦する最後のチャンスです。とは、いうものの各県を勝ち抜いた代表選手による大会です。特に高知代表明徳義塾高校の選手達はレベルが高く、団体・個人戦ともに緊迫した試合が予想されました。そして、個人戦が始まりました。兄弟三人ともに1・2回戦は無難に勝ち上がりました。そしてベスト4をかけた準々決勝へと進みました。対戦相手は三人ともに明徳義塾の選手です。中学から高校と競い合ってきた言わばライバルであり同士との戦になりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月25日 (金)

長男の意地3(国体予選編)

7月25日 続いて国体香川県予選の話です。インターハイ組手個人戦出場を逃してしまった長男にとって個人として全国につながる最後のチャンスです。先週の県高校総体に続き兄弟三人ともに順調にトーナメントを勝ち進みました。今回、長男は準決勝で三男の泰明と対戦することになりました。このところ数試合、三男も腰痛に苦しみながら本来の力を出せていませんでしたが、この日は技のキレもよく私の目から見ても明らかに絶好調でした。めぐり逢わせとはこういうものです。長男最後のチャンスに絶好調の三男。試合は始まりました。緊迫した攻防から三男が抜け出しました。長男の結果は今週も弟に全国出場権を奪われたことになりました。決勝戦では絶好調の三男が次男の武を下し優勝しました。我が家からは私に続き二人目の国体出場者となります。試合の結果とは非情なものですが、今回の試合も兄弟でありながら持っている力をすべて出し最善を尽くした試合内容に親として師匠として感慨深いものがありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月24日 (木)

長男の意地2(県総体編)

7月24日 長男の優勝で幕を開けた今年の空手道シーズンですが県高校総体(6月1日)・国体予選(6月8日)・四国地区高校総体(6月14・15日)と毎週続けて意地をかけた試合が続きます。高校最後の夏、長男の目標はインターハイ個人出場と国体出場です。そして、県高校総体(インターハイ予選)が始まりました。トーナメント表を見ると最大の難関は準決勝、順当にいけば二男の武と当たります。次男は兄弟三人の中で今一番力をつけています。一戦一戦と進み三人ともに準決勝まで残ることができました。準決勝第一試合長男対次男の戦いは始まりました。全力を尽くした力勝負でしたが地力に勝る二男の勝ちという結果になりました。インターハイ個人戦の出場権を弟に奪われた形になりましたが全力を尽くした試合内容に私は満足しています。決勝は、別ブロックの準決勝を勝ち上がった三男の泰明との兄弟対決となり次男が優勝を飾りました。親としては、なんとなく複雑な気持ちです。

この試合おまけが一つありました。肩脱臼を繰り返し2年間思った練習ができずにいた長男が中学生以来三年ぶりの形競技に出場したのです。当然、すぐに負けると私も長男本人も思っていたのですが決勝戦まで勝ち進み準優勝してしまったのです。インターハイ形個人戦出場権を得ることができました。組手一本に賭けていたこともあり本人は複雑な表情をしていましたが望んでもなかなか手に入らない出場権です。精一杯闘ってほしいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月23日 (水)

長男の意地1(県選手権編)

7月23日 第29回四国地区空手道選手権大会(ミニ国体)が7月20日(日)に善通寺市民体育館(香川県)で行われました。私の息子達も少年男子組手の部へ三人そろって出場することが出来ました。

今年に入り、長男も脱臼から完全に復帰し三人そろっての試合が続きます。半ばあきらめていた長男の競技復帰も叶い、お世話になった人たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。新年度が始まり長男の高校生活最後の年ですが、2年間のブランクもあり試合の結果を望むのも酷な気がしました。そんな中、第17回四国新聞社杯香川県空手道選手権大会が5月18日(日)に高松市牟礼総合体育館で行われました。この大会は、次につながる大会ではないのですが香川県最大の空手道選手権大会であり今年を占う大切な緒戦です。長男は久しぶりの個人戦ではありましたが、私から見ても集中力があり積極的な試合ができていたと思います。結果は、3年ぶり 県中学生選手権大会以来の個人優勝をすることができました。日頃は、道場生(息子たちを含む)の活躍に感情を出さないようにしている私も、長男の優勝については、2年間の苦闘を間近で見ていただけに素直に喜びました。しかし、意地をかけた兄弟たちの熾烈な戦いはこれが始まりだったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 9日 (月)

谷崎先輩5

6月9日 夢は追い続けると時にかなうことがあります。香港での試合の後、二人は数年現役を続けることになります。谷崎先輩は福岡国体の成功を目標に・・・ 私は先輩と試合をすることを目標に・・・ そして先輩の引退試合へと時が進んで行きます。福岡のとび梅国体では私も谷崎先輩も重量級の選手として出場しました。トーナメント表を見ると先輩と対戦するためには決勝戦まで勝ち進まなければなりません。最後のチャンスですが私には決勝まで行ける自信はありませんでした。しかし、私の体調もよく一戦一戦と勝ち上がて行きました。あと一戦!準決勝戦のことです、接戦の末試合を落としてしまいました。ところが、なんと言うことでしょう。優勝候補の谷崎先輩も準決勝戦で敗れてしまったのです。運命の神様!三位決定戦という形ではありますが先輩と試合が出来ることになったのです。最後のチャンスです。そして私は空手道人生で最高の試合をすることができました。先輩のラストゲームに最高の体調で戦えることができたのです。悔いのない試合とはこういうものかと思いました。結果はと言うと・・・ 私の負けでした。あれからもう十数年が過ぎさりました。  先週の日曜日、剛柔会の強化合宿と香川県の高校総体が重なっていたので「お前の息子の試合が見たい」と福岡への帰りの時間を遅らせて試合を見に来てくれました。私の息子達の試合を見つめる谷崎先輩の顔が幾分優しく見えました。私も先輩の息子さんの活躍をいつも楽しみにしています。   私は今、こうして空手道を続けて思うことがあります。それは、空手とは苦しんだり闘ったりするだけのものではないということです。そして、空手道とは人との交わりを厚くし、よりよく生きていくための素晴らしい友人であると私は信じています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 8日 (日)

谷崎先輩4

6月8日 谷崎先輩の話をもう少し。私は大学から香川に帰ってきたとき血と汗と涙のつらい空手道生活に終止符を打とうと思っていました。しかし国体予選の季節が近づき空手道への思いが募ってきました。その当時、香川県に空手道関係へのつてのない私は香川県体育協会から県空手道連盟の事務局(当時宮脇先生)を教えてもらいました。国体予選出場について事務局長の宮脇先生に相談すると大学の空手道部が剛柔流ということもあり木村先生・石川先生の日新館を紹介していただきました。そして香川県からの国体出場がきまり国体会場で谷崎先輩と再会することになりました。谷崎先輩を中心とする当時の福岡県チームは日本のトップチームで私たちとはなかなか拳を合わす機会がありませんでした。それから数年のあいだ谷崎先輩や後輩たちの活躍を遠く眺めることになりました。剛柔会の全国大会や国体・全日本選手権などで活躍をしている谷崎先輩をみて、引退までに一度でいいから大きな舞台で先輩と試合をしてみたいと夢のような目標を持つようになりました。そしてそれは、2度訪れたのです。一度目は剛柔会世界大会(香港)です。谷崎先輩は無差別級で優勝し私は重量級で優勝することができました。試合も終わり安心していた時です。突然プログラムにはない各階級の優勝者によるトーナメンを行うということになりました。抽選の結果、私と谷崎先輩が試合をすることになりました。試合終了の安堵感から谷崎先輩と試合をしなければならない緊張へと心の準備もできずあっけなく負けてしまいました。せっかくの機会なのによい試合をすることができず残念な思い出です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 6日 (金)

谷崎先輩3

6月6日 谷崎先輩に殴られた話の続きです。酒を酌み交わしながら先輩が語った私を殴った理由は私には思いもよらないことだったのです。その当時の2年生・1年生には高校時代全国に名の知れた有名選手がたくさんいました。もちろん谷崎先輩もナショナルチームの一員で国際大会にも出場する強豪選手です。大学のチーム力もあがり全日本チャンピオンチームになるべく練習をしていたその時だったのです。強豪選手といえども、たった一人の4年生です。先輩は一人で二十数名の部員をまとめ厳しい練習をしていました。いってみれば一人対二十数名の練習のようなものです。その時の私は必死でした。死に物狂いで先輩に組みついていったのです。谷崎先輩は必死で向かってくる私が怖かったというのです。私がということではなく、後輩たちがということだと思います。私たちも必死でしたがたった一人の4年生谷崎先輩は私たちの数倍必死だったのです。その話を聞いたとき先輩のことが身近に感じられました。そして、今まで以上に誇れる先輩であると思いました。お互いに30歳に手がかかったころ、博多の夜の話です。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 5日 (木)

谷崎先輩2

6月5日 谷崎先輩のことを書こうと昔のことを考えると思いだすことが多すぎて話にまとまりがなくなってしまいそうです。印象に残っていることをもう少し書いてみようと思います。大学を出てから数年後のことです谷崎先輩はまだ現役の選手で地元福岡国体を成功に導くため頑張っていました。私も東四国国体(福岡国体の2年後)を目指していました。福岡で行われた香川県チームとの合同練習懇親会後のことです。久しぶりに先輩と杯を交わしていると 「大学時代お前のことを一度殴ったことがあったな」 しみじみと語り始めました。大学から空手道を始めた私は谷崎先輩に育てられたと言っても過言ではなく、殴られたことは数限りなくありました。「一度と言われてもなあ」 心の中でつぶやきましたが私にもひとつ心当たりがありました。谷崎先輩が4年生、私が3年生の時です。大学の全九州・全日本選手権を控えた強化練習期間中のことだったと思います。その日の練習も終盤になり自由組手(地稽古)の時でした。先輩の相手をしていた私は「やめ」の合図がきこえず必死で谷崎先輩に組みかかっていました。気がついたとき鬼のような顔をした先輩に力の限り殴られ気絶寸前になったことがありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 3日 (火)

谷崎先輩

6月3日 先日(5月31日・6月1日)、剛柔会の強化合宿のため全国から選手たちが高松に集まりました。私も剛柔会の強化委員のため両日ともに参加しました。大学時代の先輩で同じく強化委員の谷崎先輩も福岡からにやってきました。大学を出て二十数年たっても先輩と会うのは緊張するものです。お互いにいいおやじになってしまいましたが空手衣に着替えると現役の頃が昨日のように思い出されます。谷崎先輩は私の一学年上の先輩です。谷崎先輩の学年は空手道部員がただ一人でした。私の学年は私も含め大学から空手道を始めた者が多く部員数は多かったのですが先輩にずいぶんお世話をかけました。私から下の代になると高校空手道界の有名選手が数多く入部して谷崎先輩の厳しい指導もあり第二期黄金時代の到来がありました。たった一人で空手道部をまとめ大会でも活躍する先輩は私にとって遠く及ばない雲の上の存在でした。今でもこうして空手道を通じ谷崎先輩と良いお付き合いができることが大学時代のことを考えると夢のようです。血と汗と涙のつらい大学空手道部の思い出は今になってみると何物にも代えられない素晴らしい経験であったと感謝しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 1日 (日)

縁の下の力持ち(理事長)

6月1日 香川県空手道連盟を支える縁の下の力持ちの話を書いてきましたが最後に理事長小西先生のことを書きたいと思います。私は昨年から小西理事長を補佐する事務局の仕事をすることになりました。それまで連盟の運営などあまり関心のなかった私には、連盟を支える理事長の仕事がどれほど大変なのかわかりませんでした。常任理事会・各委員会の会合・各種大会そして四国地区の各県連盟また全空連との調整など、まさに休む暇なしに県連盟を支えるために西に東に走り回っています。仕事も忙しい中、本当に頭が下がります。連盟を支える先生方が縁の下の力持ちならば理事長は県連盟を支える大黒柱です。いま、県連盟は理事長を中心に多くの先生方に支えられ運営しています。“香川県から世界へ”を合言葉に縁の下の力持ち達の飽くなき挑戦が続いています。選手の皆さん、先生たちに負けずに世界へ羽ばたいてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月30日 (金)

縁の下の力持ち(指導部会)

5月30日 指導部会の佐藤先生は明るくお茶目な先生です。しかし、強化練習に審判講習会にまた試合のお世話にと大活躍で道場の指導にも熱心に取り組んでいます。佐藤先生が委員長をしている指導部会は県連盟にとって大変重要な部門です。指導者の先生に対する講習会や公認資格・公認段位取得のための練習会など、これから香川県の空手道を背負って立つ指導者の先生方を育成する大切な役割です。空手道競技は選手だけでも、審判だけでもそして指導者だけでも成り立ちません。県連盟の先生方は選手を育て、試合を運営し指導者の育成までしているのです。佐藤先生は自ら他流派の形を勉強したり公認の資格に挑戦したりと若い先生方の見本になっています。佐藤先生の挑戦が県連盟の質の向上になっていると心から思っています。佐藤先生、まだまだ上に向かって頑張りましょう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年5月27日 (火)

縁の下の力持ち(競技委員会)

5月27日 競技委員会は県連盟主催の試合を運営しています。委員長の岩井先生は仕事の合間を見つけては試合の準備をしています。試合要項の発送・申込書の取りまとめそしてトーナメントの抽選からプログラム作成に賞状・メダル・トロフィーの準備にコートの設営まで岩井先生がいなければ試合が開催できません。手作業でいろいろご苦労をおかけしていましたが平成18年度から画期的なことが始まりました。香川県空手道連盟のホームページが開設されたのです。試合要項・トーナメント表の掲載や試合結果の配信など手間のかかる作業がずいぶん楽になりました。ホームページ更新の連絡や試合の申し込みもメールでのやり取りになりました。ホームページ開設には競技委員会の田嶋先生にお世話になりました。田嶋先生は高専の教授で言ってみればプロのようなものです。人材とは有り難いもので県連盟の事業が一度に合理化されてしまいました。私の担当している県連盟事務局の仕事もずいぶん楽になりました。しかし、合理化されたといえどもまだまだ手間のかかる委員会です。先週も今週もそして来週の日曜日も試合が続きます競技委員会の先生方本当にご苦労さまです。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月26日 (月)

縁の下の力持ち(強化委員会)

5月26日 強化委員会の先生には頭が下がる思いがします。100人を超える選手を相手に月2回の強化練習をしています。そして国体選手の育成・選手の派遣や四国選手権・全日本選手権の選手の手配から旅行の段取りとシーズン中は休む暇もありません。委員長は私のライバル今井先生です。事務局の根ヶ山先生も仕事が忙しい中書類の作成や事務連絡にご苦労をおかけしています。私も強化委員会に所属していますが最近は県連盟事務局の仕事が忙しくさぼり気味です。月2回の強化練習に試合の審判・強化遠征など強化委員の先生はいつ休んでいるのかわかりません。またつらい強化練習(先生にとって)がやってきます。しかし選手たちの元気な顔を見るとまた一日一生懸命指導をします。数年前のことを考えると選手たとのレベルも確実に向上しています。私の息子たちも強化の先生たちのお世話になってきました。道場を越え流派を越え強化委員会の先生は日々頑張っています。香川から世界に向けて強化委員会の挑戦はまだまだ続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月23日 (金)

縁の下の力持ち(審判委員会)

5月23日 審判委員会の委員長藤川さんは、まじめで几帳面な性格です。しかしそれだけではなくお酒も飲めるし話してみると結構気が合いました。昨年度から私の道場の指導員細谷先生が事務局をしています。性格的には正反対に思えるのですが絶妙なコンビネイションです。審判委員会は審判員の講習会をしたり試合の時の審判員のとりまとめをしたりと大変です。試合があるたびに必要な審判員を集めるのにずいぶん苦労をしています。審判員の先生も試合のたび召集されて大変ですが委員会の先生は審判もフル出場の上に審判の手配に審判員の育成と本当にご苦労をかけています。いい選手がたくさんいても審判員がいないと競技が成り立ちません。懸命に公正なジャッチをしても少しの失敗をすると選手やご父兄からクレームがつきます。審判員の先生が審判をするのは当たり前ではないのです。たまの休みを家庭を犠牲にしてボランティアで集まっているのです。選手の皆さん、ご父兄の方々審判員の先生方に感謝と尊敬の気持ちを持ってください。そして審判委員会は空手道競技を支える大事な縁の下の力持ちだと理解してください。空手道シーズンが始まりまた。審判委員会の忙しい毎日がまた始まっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月20日 (火)

縁の下の力持ち

5月20日 道場を離れて県連盟の話を書きたいと思います。競技の現役を離れ連盟のお手伝いや試合に道場生を参加させるようになり競技を支える先生たちのご苦労がようやくわかるようになりました。現役の時はただ試合に勝つことだけを考え試合の負けも審判の先生のせいにしたり思い出すと恥ずかしいことばかりです。一試合を行うのにどれだけ多くの先生やスタッフの方のお世話になっているのか分かればわかるほど反省の一言です。また、連盟を支える先生方のご苦労も並大抵のことではありません。ボランティアで仕事や家庭も犠牲にしてお世話をされています。これから数話、県連盟の縁の下の力持ちたちの話を書いてみようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月15日 (木)

高松中央高校空手道部加藤君

5月15日 新年度をむかえ高松中央高校空手道部にも新入部員が入ってきました。その中に私の道場生加藤君がいます。綾南中学校空手道チームのメンバーがまた一人そろいました。高校では先輩と後輩になりますが加藤君は私の息子達とは兄弟のような存在になっています。学校に行くのも帰るときも必ず誰かと一緒です。あこがれて入った高松中央高校の空手道部ですが毎日の練習でくたくたになり帰って来るそうです。この間も帰りに電車を乗り過ごし(居眠りのため)終点で駅員さんに起こされたそうです。それでも学校は楽しいようで、たまに練習をのぞきにいくと元気よく走り回っています。その姿を見ると、全中を目指していたとき彼の頑張っている姿を見てみんなが勇気付けられたのを思い出します。目指すものは変わっても君の頑張る姿が周りのみんなを元気にします。頑張れ高松中央高校空手道部加藤君

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 7日 (水)

脱臼秘話(手術4)

5月7日 長男は脱臼を繰り返し不運であったのか?脱臼によっていろいろな人にめぐり合い、つらいことも含め様々な経験が出来たことが幸運であったのか?私は、後者だと思っています。研修手術については、長男の体調が良かったこと・脱臼の状態が研修手術に合っていたこと・スポーツ競技者であったことなど幸運にも条件がそろっていたこともあり選んでいただくことが出来ました。そして手術を執刀していただいたのが、私が望んでいたその人だったのです。菅谷先生は阪神の濱中選手など多くのスポーツ選手を治療した本人だったのです。術後も名越先生にお世話になり左肩も完治しました。不運にも右肩まで脱臼しましたが迷うことなく名越先生に手術をしていただきました。長男が残り少ない高校の競技生活を送れるのも看護師長の小川さん 手術をしていただいた菅谷先生・名越先生のおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年5月 2日 (金)

脱臼秘話(手術3)

5月2日 長男の2度目の脱臼で運ばれたのが高松市内のクワヤ病院でした。私は仕事の都合で駆けつけることが出来ませんでしたが偶然、運ばれた先の看護師長さんが私の道場生のお母さんでした。当然、運ばれた長男のことはすぐに分かったそうです。そして、その病院に月に一度外来で診察に来ていたのが岡山の名越充先生だったのです。名越先生は私が望んでいた関節鏡視下バンカート法手術の名医だったのです。そしてもう一つ運命の出会いです。11月に岡山で肩関節鏡視下バンカート法手術の世界的権威で船橋整形外科医院 菅谷啓之先生の研修手術が行なわれることになっていました。手術の患者さんは決定していましたが、体調などの条件がそろわず他の患者さんを捜していたようです。クワヤ病院の看護師長さんはその情報を知っていたようですぐに名越先生に連絡を取り推薦をしていただきました。感謝です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 1日 (木)

脱臼秘話(手術2)

5月1日 私は、長男の左肩脱臼を機会にインターネットや医療書籍などで脱臼の治療法やリハビリの方法などを調べるようになりました。そのとき目にしたのが関節鏡視下バンカート法手術です。阪神の濱中選手などプロ野球選手やその他著名なスポーツ選手がその方法で手術を行なった事が載っていました。切開しないので傷が小さいこと・切開に伴う組織の損傷が少ないこと・競技復帰率が高く復帰までの期間が比較的短いこと・最近では再脱臼率が飛躍的に低くなっていることなど・・・・長男にこの方法で治療をしてもらいたいと思いましたが、地方(四国)の人間にはどうしたらよいのかその方法も分からずあきらめていました。そして2度目の脱臼

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

脱臼秘話(手術1)

4月27日 長男の脱臼の話が長くなりましたが最後に感謝の気持ちを込めて手術をしていただいた船橋整形外科医院の菅谷啓之先生と名越整形外科医院の名越充先生の出会いと手術について書きたいと思います。最初の脱臼のとき県内の有名病院で切開手術を勧められました。再脱臼率が少ないということです。実は私の周囲にも肩関節の切開手術を受け完治した選手が何人かいました。その後再脱臼することなく競技に復帰し活躍しましたが、競技復帰までに選手達が思っているより長い期間と努力が必要だったと聞かされました。切開手術が決して悪い方法という事ではなく、高校の短い競技生活を考えると手術実施を躊躇してしまいました。高松中央高校の崎山先生とも話し合いリハビリと筋肉強化で乗り切ろうと決めました。その方法が根本的な解決にならないのを承知の上で、そして2回目の脱臼、1年生の10月のことです。そのとき救急車で運ばれた病院で思わぬ偶然と運命の出会いがありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月20日 (日)

脱臼秘話(源内さんの手紙)

4月20日 長男の脱臼についてもう一つ書いておかなければなりません。長男が3度目の脱臼をしたその後のことです。7月の練習日、源内さん(源内うどん会長の藤田さん)が孫と一緒に笑顔で道場へやってきました。ポケットから1通の手紙を取り出し“正大に渡して一人になった時に読むように伝えてくれ。父ちゃんは読まんでええからな”源内さんは私の息子たちが空手を始めた時からずっと見守てくれています。私には“励ましの手紙や”とだけ言っていました。その夜、泣きながら手紙を読む長男の姿がありました。何が書いてあったのか今でも分かりませんが源内さんの思いが詰まった手紙だったのでしょう。翌日の朝、いつもより元気に学校へ行く長男を見て感謝の気持ちで胸が熱くなりました。その手紙は今でも長男の枕元にある引出の中に大切にしまわれています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月15日 (火)

脱臼秘話(インターハイ)

4月15日 長男の脱臼について書き残したことを少し書きたいと思います。去年の春、次男と三男(双子の兄弟)が長男とおなじ高松中央高校に入学しました。また、兄弟3人が同じ学校に揃いました。6月にインターハイ出場が決定し三人ともに団体戦のメンバーに選ばれ久しぶりに兄弟そろった試合が見られると楽しみにしていました。そして長男の3度目の脱臼、インターハイ出発の日に手術、そしてインターハイの結果を病院のベットの上で聞くことになりました。試合は香川県初の団体5位入賞、弟たちも持っている力を発揮できたようでよい試合をしました。3回戦を勝ち上がり最終日には私も観戦に佐賀まで出かけました。試合には3年生の大林君を含め私の道場生が三人出場しそれぞれの活躍に感動しました。親として長男の姿を見たかったのは言うまでもありません。秋の選抜予選から兄弟3人がそろい今春の長野選抜大会にも三人そろって団体戦に出場し入賞することができました。長男も3年生になり兄弟3人がそろうのも残りわずかになりました。もう一度大きな舞台で3人が輝くところをみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月10日 (木)

脱臼3

4月10日 3度目の脱臼の時は私も長男の心中をずいぶん心配しましたが、めげることなく2度目の手術に臨み辛抱しながら毎日リハビリに励みました。事故にあった試合の相手に対しても“お前が悪いんじゃないから気にするな”と苦痛に顔をゆがめながら言っていました。1年生の2度にわたるつらい体験で男としてすこし成長したようです。実は2度目の脱臼のときは、私が思っていたよりもかなり辛かったようで私の前ではあかるくふるまっていましたが、自分の気持ちをコントロールすることができず部活でもほかの部員や先生にずいぶん迷惑をかけたようです。“なぜ自分だけが”16歳の少年には過酷な体験だったのでしょう。彼にとってつらい経験でしたが私も父親として・男として語り合う機会ができました。いろいろな人に助けられながら乗り越えることができたようです。2年生のインターハイには出場することができませんでしたが選抜予選からは試合に復帰することができました。今では右肩も完治し春の選抜にも出場することができました。気がつけば3年生、残りの高校生活を悔いなく駆け抜けてもらいたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 5日 (土)

脱臼2

4月5日 長男の脱臼については高松中央高校の吉田先生・崎山先生に大変ご心配・ご迷惑をおかけしました。一回目の脱臼についてはリハビリと筋力強化で何とか乗り切ろうと思いましたが、2度目の脱臼で良い先生にもめぐり合うことができ、再起を目指して手術に踏み切ることにしました。4ヶ月のリハビリを乗り越え先生からも完治のお墨付きをいただきました。彼の一年間はケガとリハビリの日々で終わってしまいました。2年生になり左肩も完治しましたが2度にわたる脱臼で得意の前拳を出すのを怖がりなかなか調子が上がりません。それでも、満足のいく練習もできるようになり体調もよくなり臨んだ6月の国体予選のことでした。3度目の脱臼・・・・・・今度は右肩です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 2日 (水)

脱臼1

4月2日 私の長男の話ですが、高校入学直前の練習で左肩を脱臼しました。得意の前拳の方です。“さあこれから”という時でしたが、ままならぬ練習と長いリハビリの日々が始まりました。6月の県高校総体には右手一本で何とか試合にも出ることが出来ました。8月のインターハイにも選手として出場することができ、もう大丈夫と思っていたときでした。10月、2度目の脱臼・・・・選抜予選に向けての練習中でした。長男に対しては、“空手にケガはつきもの春の大会を目指せ”と言いましたが私も内心は平静ではありませんでした。 11月、手術を決意し二年生の春に再起をかけました。しかし実は彼の苦闘はこれが始まりだったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月31日 (木)

木村庫之助先生を偲ぶ

8月30日 今年の6月木村庫之助先生が逝去されました。昨年の暮れから体調を崩され療養していましたが天寿を全うされました。去年12月の昇段級審査会にも出席され元気に受審者たちに指導をしてくれました。3月にお見舞いに伺ったときは、笑顔で “春からは練習に復帰します” と言われていたのですが残念でなりません。組手しかできない私に形を教えていただいたり、私の知らない空手のことをたくさん聞かせていただきました。その、知識の深さそして厳しさの中に優しさがあるそんな人柄を尊敬していました。まだまだいろんなことを教わりたいと思っていましたが、それももうかないません。木村先生、今まで本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月29日 (火)

大食漢 古閑選手

8月29日 古閑選手は、私の大学の後輩に当ります。昨年、縁があって香川県に赴任してきました(綜合警備保障)。大学時代は主将も勤め福岡県では国体・全日本選手権の代表選手として活躍していました。一般の選手層の薄い香川県にとってはありがたい話です。実際に各大会で大活躍しています。人柄も明るく職場で、そして空手道の仲間からもかわいがられているようです。しかし、彼には大きな欠点があります。それは大飯喰らい(大食漢)なのです。しかも好物は焼肉とご飯。たまに一緒に食事に行くと私の財布の中身もかなり傷みます。先日、焼肉を福家キャプテン(彼もかなりの大食漢です)と3人で食べに行きました。重量級が3人ですので注文の仕方も豪快です。古閑選手曰く “メニューの上から下まで全部お願いします。” お替りのときは “もう一度お願いします。” という具合です。ご飯の注文も “大飯二つお願いします。” そして大飯二つを一つに併せてお箸でかきこみます。そして “お替り” とうれしそうな声で頼みます。見ているだけで胸がいっぱいです。そして支払のとき私の意識が遠くなったのは言うまでもありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月25日 (金)

戦い終わってその5(監督)

8月25日 私の全中大会への挑戦も終わりました。この次団体戦が組めるのは数年先です。この3年間、選手たちも私も全中大会を通じて成長することが出来たと思います。しかし私には遣り残したことがまだまだあります。全中大会の経験を生かして道場生たちと日々鍛錬したいと思います。そして、数年先面白いチームを育ててもう一度全中大会に果敢に挑戦するつもりです。全国のライバル達、楽しみに待っていてください。

綾南中学校空手道チーム 監督

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月24日 (木)

戦い終わってその4(加藤選手)

8月24日 全中大会が終わった次の日(21日)加藤君が練習にやってきました。疲れもあるだろうと思いますが笑顔で道場に入ってきました。そしていつものようにへとへとになってかえって行きます。全中大会団体戦のとき私は他の選手に “加藤のために勝って来い” “加藤のために頑張って来い” と発破を掛けて試合に送りました。他の選手も私が言うまでも無くそのつもりです。去年の全中大会の次の日から加藤選手の挑戦が始まりました。三人しかいない綾南中学校空手道チームでは、加藤選手の頑張りが無ければ次の全中大会に出場することも叶わないかもしれません。ましてや全中大会で勝ち進むなど考えることも出来ませんでした。この一年間の加藤選手のがんばりは他の選手のレベルも向上させてくれました。もちろん本人もです。その上達ぶりは指導している私の思いをはるかに超えました。全中大会での戦いぶりも私の満足のいくところです。綾南中学校空手道チームは来年団体を組むことが出来ません。今日からは加藤選手の来年の活躍(個人戦)のためにみんなで応援したいと思います。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月23日 (水)

戦い終わってその3(武選手)

8月23日 武選手(私の次男)は綾川道場では身体能力も技の強さもトップクラスです。しかし彼は試合の要領が悪く強い空手をしますがなかなか試合の成績につながりませんでした。私も要領の悪いところを直すよう指導してきましたが武選手への指導方法を2年前からを変えました。失点を気にせず強い技をより強く、相手に先手を取らさず攻撃し続ける空手を指導しました。思ったより早く成果が現れました。去年の全中大会に優勝できたのも武選手の活躍が大きかったと思います。今年の全中大会も1回戦から5回戦まで一貫して攻め続けた姿勢はさわやかなものがありました。残念ながら5回戦の中堅戦で敗れてしまいましたが悔いの無い戦い方であったと思います。武選手の空手はまだまだ荒削りです。全中大会は終わりましたが強くなるのはこれからです。私も彼の空手が進化するのを楽しみにしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月22日 (火)

戦い終わってその2(泰明選手)

8月22日 全中大会初日(18日)の試合前の練習のことです。いつも通り蹴りのミット打ちから始まりフットワーク・スパーリング・自由組手と調整をしていきました。試合直前にいままで経験したことのないほどの仕上がり具合に正直驚きました。特に個人戦出場の泰明選手(私の三男)は体・技のきれそして反応も鋭く良い成績につながるのではと期待してしまいました。泰明選手は小学生の頃から試合の大小にかかわらず緊張したりあがったりしたことのない選手です。試合も日頃の練習どおり技も出ますし結果もコンスタントです。そこに落とし穴があったのです。泰明選手も自分の仕上がり具合に自信が出たのでしょう。日頃試合の勝ちを意識したことのない泰明選手が勝てると思ったのです。大舞台で勝ちを意識し緊張とプレッシャーに押しつぶされました。試合になったとたん動きに精彩がなく、いつもは思い切った業を繰り出すのに単調な技しか出ません。結果は3回戦敗退です。私も泰明選手が緊張しているのを見落としていたのです。いつもは訴えないのどの渇き、肩の力をほぐそうとするしぐさなど日頃と違う変化を見逃してしまったのです。いかに厳しい練習をしたといってもまだまだ中学生なのです。実は私も緊張していたのだと思います。最高に仕上がった選手を負けさせてしまいました。監督失格です。勝つことの難しさを痛感しました。私も泰明選手もこの経験を忘れず今後の空手道に生かして行こうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月21日 (月)

戦い終わって

8月21日 綾南中学校空手道チームみんなで目標にしていた全中大会が終わりました。結果は個人戦(泰明選手)が3回戦負け、団体戦は5回戦東京の椚田中学に1-2で敗退しました。目標にしていた優勝は出来ませんでしたが団体戦ベスト8(五位)に入賞することが出来ました。団体戦では選手達は持っている力を全て出し切って戦ってくれました。目標を達成することができず、選手達は悔しい思いをしたと思います。しかし、出た結果が今の自分達の力だと認識して次の目標を目指してほしいと思います。試合は初戦から一人一人が相手選手に自分の技を決めることだけに集中し攻め続けてくれました。スマートで上手な空手ではありませんが、みんなの気持ちが伝わってきて胸が熱くなりました。試合最終日まで一日も欠かさず練習についてきてくれて、そして一生懸命戦った選手にとりあえずご苦労様。  監督

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月17日 (木)

決戦前夜

8月17日 今日もいつものようにいつも通りの練習が終わりました。この一ヶ月余りは一日も欠かさず全中大会に向けての練習をしてきました。明日の朝早く京都に出発するので私の道場での練習は今日が最後です。選手達の体もあちらこちらと痛んでいます。中学生の体には大変な負担があったのでしょう。私も、選手達も試合に備えてやるべきことはすべてやったと思います。(試合の結果は別ですが) 明日(試合前日)、あさっての個人戦、そして次の日の団体戦もいつもどおりの練習をして試合に送ってやりたいと思います。そして、いつもの練習どおりの試合をしてくれたら結果にかかわらず選手をほめてやろうと思います。試合はまだですが、へこたれずに練習についてきてくれた選手達に感謝します。  

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年8月14日 (月)

お盆練習

8月14日 私の道場は今年もお盆休みが有りません。中学生と私は全中大会が間近に迫っているので当然ですが他の道場生たちも休みません。自分の道場生ながら練習熱心さに感心します。 “継続は力なり” これから山あり谷ありいろいろなことがあると思いますが、初心を忘れず続けていきましょう。つらい練習も続けていけば必ず君達にとって良い経験になります。結果を先に求めず、つらい練習を継続した者だけが結果を手にします。試合の勝ち負けだけが結果ではありません。空手道の練習を続けることで手にするものはもっとほかにあります。それがわかるまで空手道を続けてほしいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月13日 (日)

源内さんその2

8月13日 もう少し源内さんのことを書きます。私が現役選手の頃、国体・全日本選手権・全国大会などいろいろな大会を源内さんと一緒に転戦しました。あるときは応援、またあるときは監督で、どの大会でもいちばん大きな声が聞こえました。今でも忘れられない思い出があります。沖縄国体のときです。私は3回戦で地元沖縄の選手と試合をしました。会場は地元の応援で一色、そのなかでいちばん大きな声で私への声援が聞こえてきました。声のする所を探すと、地元応援団の真ん中で必死に声援を送ってくれる源内さんの姿を見つけました。涙が出るほどうれしかったことを昨日のように覚えています。源内さんの声援で勇気が出ました。おかげで四回戦そして準決勝へ進出することが出来ました。

月日が経つのは早いものです。私もそのときの源内さんの年を追い越してしまいました。でも、変わらないこともあります。それは、今でも一緒に空手道の稽古を続けていることです。そして今では、息子さんと孫二人も一緒に練習しています。むかし、練習中厳しかった顔が今では同じ顔で孫の練習を見つめています。一家三代で空手道を楽しむ姿が誇らしげであり、私にはうらやましく思います。あと何年頑張れば源内さんのようになれるのだろうか?遠い目標に向かってまだまだ頑張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 9日 (水)

源内さん

8月9日 一昨日、源内さん(源内うどん会長の藤田さん)から “子供達に練習ばかりさせないで、たまには美味いものでも食べさせなさい” とワタリ蟹を頂きました。綾川町は香川県でも南部に位置し、山手側になるので新鮮な海の幸は珍しくしかも子供達の大好物です。アッと言う間にたいらげてしまいました。合掌!

源内さんとの付き合いも20年余りになります。私が、大学から香川に戻って間もなくで、日新館本部が石川先生の事務所の2階で練習していた頃のことです。そのとき、源内さん40歳前後、私が23、4歳だったと思います。本部の練習日に眼光鋭く、気合の入ったおじさんが見学に来ていました。一目見て “只者でない” と思いました。数日後、一緒に空手道の稽古を始めていました。年齢を超越した瞬発力そして抜群の格闘技センス何よりも気迫・集中力は大変なものです。それもそのはず源内さんは大学生時代に少林寺拳法の全日本チャンピオンだったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 8日 (火)

道場生加藤君その2

8月8日 相も変わらず加藤君が道場にやってきます。今日の練習もへとへとになって帰って行きました。全中大会出場が決まってから練習は1日も欠かしません。中学2年生の体には部活(テニス)の練習と空手の練習の両立は過酷だと思います。体力もスピードも見違えるように上達しました。あとは、試合でそれを表現できるか?というところまできました。私も、息子達も加藤君に感謝しています。加藤君の頑張りがなければ今年は全中大会に出場できなかったと思います。その加藤君、疲労もピークに達し疲労性の腰痛で2・3分の小休止の時間は立ち上がれず倒れこむほどです。それでも加藤君は練習を休みません。さすがの私も四日間の練習禁止を言い渡しました。練習解禁日にいつものように道場にやってきました。そしてまた、へとへとになって帰っていきます。君の頑張りが綾南中学校空手道チームの原動力です。全中大会までもう少し、君の活躍が楽しみです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

高松中央高校空手道部主将祖田君

8月8日 今朝、新聞でインターハイ空手道競技の結果を見ると高松中央高校の祖田君が1回戦・2回戦と勝ち上がり3回戦に進出していました。残念ながら香川県代表の他の団体戦・個人戦は敗退していました。県の強化に携わる者としては少しさびしい思いがします。長男坊主の出場した組手団体戦も山口県鴻城高校に2-3で惜敗しました。祖田君は中学時代は柔道部で空手道は高校から始めました。同学年は祖田君ただ一人。先輩も後輩にも強い選手がいて苦労していました。2年生のころからメキメキ上達しました。それでも、自分自身に納得がいかず “先生、どうしたら強くなれますか” とたずねられたことも何度かあります。練習も熱心で、後輩の面倒見もよくみんなに慕われる主将です。でも、祖田君には高校時代のタイトルがありませんでした。インターハイは2位出場、四国総体も後輩が優勝しました。しかし、高校時代最後のチャンス国体予選で見事優勝し国体出場を決めました。努力はうそをつかない!残りの試合を精一杯頑張ってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 7日 (月)

剛柔会全国大会団体優勝

8月7日 先週の土・日(7月29・30日)秋田市で全日本空手道連盟剛柔会の全国大会が行われました。香川県チームは黄金時代に四連覇して以来10年間優勝から遠ざかっていました。決勝戦には何度も進出するのですがもう少しのところでなかなか優勝することが出来ませんでした。今年はエースの崎山選手もインターハイの準備のため出場できずチームを編成するのも苦労しました。しかし、キャプテンの福家選手が若い選手をまとめ上げ見事優勝することが出来ました(11年ぶり)。福家キャプテンは四連覇時代はまだ高校生で優勝チームに入ることが出来ず優勝経験がありませんでした。優勝したいと思う福家キャプテンの思いが選手を奮い立たせチーム一丸になることが出来たのでしょう。また、秋田大会の旅行の世話も一人で頑張りみんなを無事に高松までつれて帰ってくれました。選手団の世話をし後輩の面倒も見て試合でも活躍した福家キャプテン本当にご苦労様でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インターハイ

8月7日 昨日、長男坊主がインターハイ(大阪)に出発しました。春先に2度左肩を脱臼してしまい心配しましたが崎山先生のもとで練習に励んでいます。団体戦の組合せでは強豪ぞろいのパートにいますが日頃の練習どおり力を出してほしいと思います。試合では練習以上の力は出ません。練習しないものは試合でよい空手をすることが出来ないのです。強豪は強いから強豪ではなく毎日の練習を自分達の力で出来た者が強豪になるのです。いつもの練習を思い出して頑張れ高松中央高校!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 6日 (日)

綾南中学校空手道チーム

8月6日 今年も全国中学生空手道選手権大会の季節がやってきました。綾南中学校空手道チームもライバルの観音寺中部中学校とともに今年も出場することになりました。出場決定から週3日の練習が5日に7月半ばから7日に練習日も増えました。練習日が増えたといっても短時間のいつもの練習をいつもどおり淡々とこなすだけです。練習中は笑顔もあり安心していたのですがふと気がつくと選手の体が削げているのに気がつきました。選手の体重を測定すると1ヶ月ほどで5~6kg体重が落ちていました。(泰明選手56kgから-50kgに・武選手60キロから54キロに)90数キロの私の体重が落ちるのならわかりますが、育ち盛りのしかも、体脂肪率1ケタ台の選手の体重が落ちたことに衝撃を覚えそして感動しました。短時間といえども濃度の高い練習を愚痴も言わずに淡々と毎日練習し体が削ぎ落ちた選手達に感動しました。試合の結果は別にして試合に臨む努力を評価してやろうと思います。全中大会での選手の活躍が楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 5日 (土)

ブログ再開

8月5日 しばらくブログを休んでいました。年度末の仕事とか、町村合併・新学期のごたごたなど・・・・・少し休むつもりが気がつけば四ヶ月が過ぎてしまいました。試合とか行事などで知人に会うと、“ブログ頑張ってください” “三日坊主ですか”など励まされたり催促されたり。これから、気張らずに楽な気持ちでぼちぼちと思いついたことを書いていこうと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月15日 (水)

ライバルその2

3月15日  この前、九州のライバルの話を書きましたが、私には県内にも負けられないライバルがいます。それは、和道観音寺道場です。もっと言えば、師範の今井先生です。今井先生とは、20年を超える付き合いになりました。九州から帰郷し香川県で空手を再開し出会った強敵です。正々堂々力の限りお互いに戦うことが出来ました。また、国体や遠征などではチームメイトとして心を一つにして戦いました。今はお互い指導者として道場の生徒を育てています。今井先生が育てる生徒達は思い切りがよく気持ちのよい空手をします。私も負けられないので一生懸命道場生を指導します。道場生同士ライバルであり良い仲間です。私にとって道場生にとって好敵手がいると言うことは幸せなことだと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年3月14日 (火)

N.A道場2年生軍団

3月14日  道場を運営していますと道場生が多い年代と少ない年代とむらが出来ます。競争相手・練習相手に恵まれますから同年代が多いところは自然とレベルもアップします。私の道場では小学2年生グループです。このグループは男女合わせて10人ほどいるのですが修行年数も2~4年と結構ベテランです。県内の試合では無敵軍団です。賞状をもらいご父兄も喜びますから生徒たちも練習に力が入ります。しかし、試練はこれからです。成長に伴い身体能力の優れたライバルが力をつけてきます。今、空手がうまいことに満足している者、試合の結果にこだわている者は必ず壁に当ります。今うまいのではなく、これから強くなることを目標に鍛錬しましょう。師範

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月13日 (月)

中央高校崎山先生その2

3月13日  崎山先生の話をもう少し。崎山先生の出身は徳之島(鹿児島県)です。性格も南国の島の気候のように超天然で香川県にはまったく存在しないタイプです。縁があって中央高校で教鞭をとると決まったときは、うれしさ半分心配が半分(高松に順応できるだろうか?)。人の心配をよそにのびのび生活をしています。多分、他の人が崎山先生を心配で放っておけないのでしょう。今では中央高校にそして香川の空手界に無くてはならない存在になりました。空手道部も全国に通用する選手が育ち指導者としても伸び盛りです。近い将来全国制覇をしてくれると思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中央高校崎山先生

3月13日 他の話題にするつもりでしたが、崎山先生へのコメントがあったので今日は中央高校の崎山先生の話を書きたいと思います。崎山先生との付き合いもずいぶん長くなりました。彼がまだ大学の1年生のころ、たしか10代のときだったと思います。福岡大学の黄金時代の一員で、面白い選手がいると聞いていました。そのころ私も現役選手で東四国国体の成功を目指して頑張っていたころです。現近大工学部監督の松元先生(福大OB)が香川県に在籍していたこともありよく福岡に遠征に行っていました。練習で初めて手合わせをしたとき、見たこともないような技で右に左に好きなように蹴られたことを覚えています。そのとき、この選手は日本を代表する選手になるのではないかと思いました。実際、松元先生ともどもナショナルチームに所属し世界の舞台で活躍したことは言うまでもありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月12日 (日)

空手3兄弟

3月12日  私には3人の息子がいます。春から高校生になる長男と中学3年生になる双子の次男・三男です。年子の双子ですから三つ子を育てるようなものです。この3人、性格もバラバラ、空手のスタイル・得意技もテンデバラバラです。試合の時の調子もテンデバラバラ、おかげでどいつが勝つやら負けるやら。姉しかいない私には、仲が良いのか悪いのかわからない三人が楽しそうでうらやましことがあります。いま考えると空手道の稽古も一人では続いていなかったかもしれません。ケンカをしたり、助け合ったり、競い合いながら続いてきたのでしょう。息子達にとって空手道が心を磨き良い男になるための相棒であってほしいと思っています。もう少しの間、空手3兄弟を観察したいものです。zentyu141

| | コメント (1) | トラックバック (0)

N.A道場の弱点

3月12日  日新館綾川道場の生徒達は体力・基本・練習量とも平均以上だと思っています。週4・5日練習する子供達もいます。師範の私から見ても“みんな良く頑張っているな”と思うことがあります。その道場生たちが、県の強化練習や合同練習・他の道場の先生に教えてもらうときに苦手で悪戦苦闘することがあります。それは、ストレッチ(柔軟)運動です。実は私が苦手なのです。言い訳をしますと、時間に制約がある道場の練習中にストレッチをすることがもったいないのです。ストレッチ運動が重要であること、スポーツ選手に身体の柔軟性が如何に大切であるか十分承知しているのですが、練習メニューを考えるとどうしても時間が取れません。そのうえ私が苦手ですから“各自家でストレッチをしてください”となってしまいます。道場の致命的な欠陥です。現在、練習内容を検討し改善中ですが、結局一番良い方法は私がストレッチを好きになり実践するしかないようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月11日 (土)

卒業式その2

3月11日 今日は長男坊主の卒業式です。知らぬ間に身長もはるかに追い抜かれ、勝っているのは体重くらい(はるかに私が勝っています)です。五歳から10年間一緒に稽古をしてきましたが道場からも卒業です。春からは高松中央高校の吉田先生・崎山先生にお世話になります。心機一転!一から空手道をはじめるつもりで稽古に臨むこと。そして、道場の名前(日新館)のように日々新たなりの精神で高校生活を送ってください。師範IMG_11

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年3月10日 (金)

道場生加藤君

3月10日  今日もいつものように加藤君が道場にやって来ました。加藤君は中学1年生です。息子たちと同じ中学で同じ部活(テニス部)に所属しています。去年は高知で開催された空手道全中大会に綾南中学校の団体戦チームの一員として参加しました。今年は、団体戦のレギュラーです。といっても綾南中空手道チームは3人しかいませんから補欠無しです。加藤君は道場20年の歴史の中で一番体が硬く、そして運動センスもほめられるものではありませんでした。息子たちと年が近いこともあって稽古はいつも同じグループです。毎回毎回コテンパンになり練習が終わるといつも体を引きずって帰っています。その加藤君、強くなりました。空手は上手くないけれど一生懸命なよい組手が出来るようになりました。練習はうそをつきません。このところ休まずつらい練習を辛抱した加藤君、今年の綾南中空手道チームは君の活躍にかかっています。がんばれ加藤君!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三日坊主

3月10日 この前、記事を投稿してからしばらくサボりました。早速“やっぱり三日坊主ですか”とコメントがありました。“私のブログをみてくれているんだな”とうれしいのが半分、チェックが厳しいのでプレッシャーが半分。うれしいやら悲しいやら.....

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 5日 (日)

ライバル

3月5日  長崎の川副先生よりコメントがありました。十数年前東四国国体を目指して一緒に汗を流した仲間です。綾南中学校を目標に云々とのことですが恥ずかしい限りです。レベルの高い九州の空手道を目標に頑張っているのはこちらの方です。毎年毎年九州遠征に行ってはコテンパンに負けて四国まで泣いて帰りました。去年、川副先生の道場生達(柚木中学校)と全中大会の決勝戦を戦うことが出来たことは、私にとっては感慨無量のことです。今年も決しておごらず九州のライバル達を目標に日々鍛錬したいと思います。 zentyu41

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年3月 3日 (金)

卒業式

3月3日  今日は娘の卒業式です。娘は、五歳のときから空手道の練習を始めました。私もまだ若かったのでずいぶん厳しく指導をしたものです。全国大会で入賞するほど上達しましたが中学校にあがるとき指導するのをやめました。それまで一緒に懸命に稽古をしていたので大変寂しかったことを覚えています。高校に入学してから第二道場の小さな子供たちの世話をするようになりました。空手に帰ってきたとき(私の道場ではありませんが)は、妙にうれしかったものです。娘に限らず道場からたくさんの生徒が巣立って行きました。旅立って行く道場生に良い経験が出来るように頑張らねば、と思っています。娘にとって空手道を通じて体験できたことがこれからの生活に役立つものであると信じています。新天地での春からの生活では、日新館精神の、のびのび大らかにそして真剣にを忘れずに生活をしてください。師範(父より)FH0100061

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年3月 2日 (木)

第二道場 細谷先生

3月2日  第二道場の細谷先生より“仕事で遅れます”と連絡がありピンチヒッターで練習に駆けつけました。第二道場は四歳の幼児など、空手着を着けていない初心者も多くいます。私も第二道場が出来るまでは、小さな子供達の世話をしながら一生懸命練習をしたものです。いざ練習を始めるとどうやって指導したものか戸惑ってしまいました。細谷先生がやってきて練習を交代。てきぱきとした指導はなかなかたいしたものです。初心者や小さな子供の指導は私よりずっと上。細谷先生いつもご苦労様。IMG_02151

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 1日 (水)

道場20周年

去年の話ですが、ふと気がつくと道場(日新館綾南道場)を初めて20年目。九州から帰郷してから、あっと言う間のことでした。でもその間には数え切れない感動や経験、そしてたくさんの人たちとの交流がありました。道場開設当時には、空手道の形(剛柔流)もなにひとつろくに出来るものはありませんでした。今では、道場生たちに“わからない事は、なんでも先生に聞きなさい”などと言っていますが本当に恥ずかしい話です。それでもその当時は、知識のない分、自分も生徒たちと一緒に体を動かし、諸先生方に教えを請い基本や形も一生懸命覚えました。その当時のことを忘れないように、これからも日々精進!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年2月28日 (火)

松元先生ありがとう

 今日、道場の練習から帰ると近畿大学工学部空手道部監督の松元先生からコメントがあり“三日坊主にならないように”とのこと、しかしブログを始めたものの三日坊主にならない自信がまったくありません。でも、初めての投稿でコメントがきたのは大変嬉しいものです。松元先生本当にありがとう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年2月27日 (月)

ブログをはじめました。

 こんにちは、日新館綾川の北林です。香川県で空手道の道場を運営しています。この度、道場のホームページを開設した機会にブログを始めることにしました。道場の練習や空手道の仲間の話などを不定期で投稿しようと思っています。機会があれば読んで下さい。道場のホームページにもアクセスしてみてください。

PCホームページ http://homepage2.nifty.com/nissinkan-ayagawa/

携帯用ホームページ http://homepage2.nifty.com/nissinkan-aya-keitai/

| | コメント (1) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

空手道